自分の原動力を言語化することでブレない軸を作る。

先日大学時代の同級生2人と飲みに行った。それぞれが変化のときだったから、ただの飲み会以上に意味があった。

まず、僕自身が4月に転職を控えてる。そして、1人は起業、もう1人はベンチャーへの転職。みんな27歳、新卒ではだれもが知る大手企業に入った。でも、それぞれが目的を持ち、それぞれの原動力で動いてる。

 

ただ、「その原動力って何なの?」「で、何をしたいの?」そんなことを聞き合うと、意外とうまく言語化できない部分が出てきたり、思考が浅かったりすることに気づく。それらを深める飲み会だった。

 

これらを言語化できていないと、いつまでも「自分探し」に終始することになる。つまり、何をやってもやっぱり違うかもってなってしまう可能性がある。

 

だから自分自身の過去を振り返り、原動力を知ることが大切になる。

 

原動力は、自分自身のコンプレックスや辛い経験、強い不を感じた経験から来るんじゃないかと思う。人に話すのが恥ずかしい、話してると苦しくなる、きつくなる、そのレベルのこと。

 

ちなみに、僕の原動力になってるのは、

  • 大学時代に気づかされた自分の能力の低さと没個性的な自分に対するコンプレックス
  • 中学校時代に受けた軍隊教育への反発
  • 高校生のときに野球でイップスになった経験

だと思う。

周りの優秀な人たちに負けないように勉強する。自分らしさを考え、意思決定をして、行動する。

 

学校教育を上手に歩み、先生たちには褒められながら高校卒業まできたのに、学校教育が主に扱っている「空気を読みながら、与えられたことを上手にこなす力」だけでは、没個性的な人間になり、社会の中では埋もれてしまう。戦後の、ものづくりのオペレーションをスムーズにこなせる人材が輝けた時代はとっくに終わっているのに、高度経済成長期型の標準化された人間を育てる教育がいまだに続いている。世の中は、ダイバーシティーを当たり前な社会、パーソナライズ化した社会に向かって進んでいるのにも関わらず。

 

いまはこの学校教育で身につく力と社会で必要とされる力の差分を、少しでも埋められるようなことをしたいと思って動いてる。自分がやりたいこと・志を見つける機会、自ら課題を発見し行動することを駆り立てられるような機会、そして同じ目的を持った仲間と協働し高め合える機会をつくりたい。それが自分のコンプレックスに対する必死の抵抗なのかもしれない。

 

高校で半年以上イップスが続いてたときに、親父の「楽しめばいいよ」の一言で復活できた経験は、何かに押さえつけられる必要はないんだな、楽しめばなんとかなるんだなと教えてくれた。これも、自分を押さえつけてくるものたちに対抗する原動力になってると思う。

 

自分の原動力を改めて整理することができて、いまのキャリアへの納得感と、次のキャリアへの期待感がさらに膨らんだ。