子供の「諦め」を生み出してしまう通知表

学校での頑張りをある特定の指標のある特定の基準で評価をつけた通知表。今回はじめて成績をつける立場にたって、この通知表がある子供たちの可能性を踏みにじってしまっているのではないかなと思った。

 

ぼくは英語科なので「英語力」で彼らの成績を評価しなければならない。テストやスピーチコンテストなど、定量化できるデータをもとに、管理職や保護者から説明が求められた際に論理的に答えられるように1〜5の成績をつけた。

生徒は様々な反応を示す。もちろん良い成績を取れた生徒は、喜びこれからも頑張っていくモチベーションになるだろうし、有能感も得られると思う。

一方で、成績が悪かった生徒。それから自分が自分に期待していたよりも、テストで点数が取れなくて、成績が思ったよりはよくなかった生徒たち(大体オール3くらいの成績)。彼らの反応を見てると、どうしてもこの通知表が本当に「いまこのタイミングで必要なのか」と悩ましく思う。

成績が悪かった生徒。

彼らは総じて、英語だけでなくほかの教科も悪い。通知表を開いて、「おれ・わたしはできない人間だ。」という反応を示す。ある特定の勉強のある特定の基準でしか測っていないのにも関わらず、その成績がすべてだと思ってしまう。そして、それはランク付けされているようなものだから、彼らの自己肯定感を下げているように思える。ある種、学校という社会の中での評価が低いと思わされるわけだから当然のことだと思う。何より心配されるのが、これから先、社会に出たときでさえ「おれ・わたしにはどうせ無理だ」という固定観念を染み込ませてしまうのではないかということ。成績表には、たしかに学力以外の生活態度などの項目も用意されているけれど、評価側と受けて側もそちらにはほとんど目を向けていません。ひとりひとりの生徒に学力という指標では計れない良いところがたくさんあるけれど、それが評価される、もしくはきちんと価値づけされるシステムになっていない。

もちろん、社会システムの中で生きて行くには、学力が高いに越したことはないと思うし、教員は彼らの学力も育てなければならない。でも本当に勉強が苦手な生徒が、彼らの長所を生かして活躍できる場所はあるはずです。というか、自分の長所を知り、自分を活かせる場所を探すのも学校であるべきだと思う。通知表は、この力を育てることとは真逆の効果を発揮しているように思えてなりません。

例えば、めちゃくちゃな努力をして10点だった点数をようやく30点まで持ってこれた生徒がいる。彼の成績は「2」となる。彼の「努力する力」は評価されません。その評価をみて「おれはだめだ」と思ってしまう。もちろん、最終的に受験になれば「努力する力」は評価されずに、結果がすべてになります。ただ、問題だと思うのは、努力しはじめた生徒たちでさえも、この成績表が彼らの自己肯定感を下げ、「諦め」を生み出し勉強をやめてしまいかねないのではないかということです。その「努力」が彼の得意分野に生かされることに気づける仕組みが必要だと思う。

期待以下の成績だった生徒。

入学当初、嬉しそうにA高校(地元の超進学校)に行きたいと話しかけてきてくれた女子生徒。彼女はA高校にいって、良い大学にいって勉強して獣医になりたいといっていた。でも、中間・期末と思うように点数が取れず、成績がオール3くらいの普通の成績だった。それも(僕からみても)あまり努力しなかったな、と思えた。しかし、通知表をみたあとに私と話した彼女の志望校はB高校(ワンランク下)の学校に下がっていた。「わたしはこれくらいかな」といった感じで。彼女のポテンシャルはまだまだあるのに、1年生の1学期の終わりの成績表の結果のみで、彼女の心にはわずかに「諦め」が宿り始めている。このまま、勉強しなくなってしまわないか心配。そうなれば間違いなく、彼女の純粋な心から出てきていた夢に到達する彼女の可能性は、どんどん萎んでいってしまいます。

テストの点数は、どれだけ自分ができるようなったか、自分の努力を純粋に評価しやすいと思うけれど、学期最後に渡される通知表はなんだか漠然と自分が評価されたような感じになり、また(絶対評価ではあるけれど)周囲との比較ばかりしてしまう。

到達度チェックくらいで良い

いちいち5段階で評価しないで、中学校に学ぶべき内容をリストアップして、到達度をチェックしていってあげればそれで十分なんじゃないかと思う。自分は何をできるようになって何がまだできないのか、それを知れれば十分なんじゃないかと。自分の努力した点や自分の努力の不十分さを認め、自分の行きたい高校に入るためには(高校でなくても自分の夢に向かうために)何をすべきなのかを考え、次の学期に行動を起こせる材料になれば良いんじゃないかと思う。

たしかに、社会に出れば、評価される中で生きていかなければならない。でも、学校は(ほとんど)勉強だけで評価される。社会にはたくさん活躍する場がある。あらゆる評価指標がある。自分に合わなければフィールドを変えられる。英語ができなくたって仕事はある。数学ができなくたって仕事がある。学校の成績が悪くたって、自分の得意分野を見つけて活躍している人だってたくさんいる。でも、学校はみんな同じ指標で測られるから、価値観が形成されていく中学校の時期に評価を下され続ければ、それが自分の力なんだと思ってしまいかねないと思う。

大事なのは、自分の得意分野ややりたいことが見つかったときに、自分は努力すれば成長できるという自信を持たせることなんじゃないかなーなんて思う。

それでは。

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