「やりたくないからやらない」のではなく「わからないからやらない」

学校にいる子供たちはほんとに多様で勉強に対する取り組み方なんてまったく違う。
たとえば、朝学習のプリントが配られたときに、どんどん問題を解いていく生徒がいれば、頭をひねらせながら考えている生徒、ただただひたすらぼんやりと時間がすぎるのを待つ生徒がいる。
 
学校生活では、たとえ勉強をしていなくても、静かにさえしていれば怒られないしなにも問題にならない。
でも、問題にならなければそれでいいのか?その時間もったいなくないの?と居ても立っても居られなくなる。
そもそもなぜ勉強しない子供たちはただ時間が過ぎるのを待っているだけなのか。
それは、勉強を「やりたくないからやらない」のではなく「わからないからやらない」ことのほうが圧倒的に多いようです。
今日の朝自習のとき、クラスの後ろから様子を見ていると、問題が配られて開始と同時に一度問題をみて、思考停止状態でぽけーっとする生徒が出てきます。
そこで少し時間をおいて近くによってみると、彼(彼女)は笑顔でこっちをみます。
「全然やってねぇーなー。」と声をかけると、
彼らは笑ってうなずく。
そこで、超スモールステップで教えてみると解き始めます。ゆっくり、丁寧に教えながらやると取り組む。自分でできると次の問題に進んでいきます。最初はじゃあ次、と声をかける必要があるけど、だんだん自分で進めていくようになる。今日は3人に同じことをしたら、みんなだいたい同じ反応。別につまらなそうなそぶりはない。
「出来る」ならだれでもやる。ぽけーっとしているよりはるかに退屈じゃないし、できれば楽しい。これは生徒を放課後残して、一対一で丁寧に教えるとどんな生徒もちゃんとやるしわかると喜ぶ姿を見ていることからも感じる。驚くことに、普段とんでもなくやる気が見えない生徒でも残ることを嫌がらなかったりする。それくらい人は心の中で「できるようになりたい」「認められる自分でありたい」と思っている。
でもいま学校の現場では、個別フォローをしなければならない生徒が多すぎて自分の手がまわりきっていない。そして、授業はある基準に合わせたスピードで進んでいくので、一度取り残された生徒はどんどん置いていかれてしまう。
どうしたらこの「わからない」からくる「諦め」をなくせるのか。偏差値30から70が混在する一授業の中でどれだけ個別にフォロー出来るか。どれだけ習熟度別に合わせた課題を提供できるか。
学校の大きな課題だと思う。すべての生徒に画一化された教育をするだけでは絶対に彼らのポテンシャルを最大限に伸ばしてやることはできない。
単純に、これだけ技術が発展しているんだから、ICTとかe-learningとかもっと使えば良いのに、とも思うけど。

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